美意識だって移りゆく(シェリー『フランケンシュタイン』)

四肢は均整を保ち、容貌も美しくつくってきたはずでした。そう、美しくです! しかしこれが美しいか!
(シェリー『フランケンシュタイン』小林章夫・訳 光文社古典新訳文庫 より)

こんにちは。あなたはどなたですか?野村です。

今回紹介する作品に登場する怪物には名前がありません。

物語の中で、老人が怪物に向かって「あなたはどなたなのだ?」と訊ねる場面があるのですよ。
緊張の一瞬。怪物は何者でもない。

かつて僕は「何者にもなりたくない」と思ってた時期がありました。
今になってみると、ある程度は達成できてしまってるのかも。

おぼつかない記憶

小学生のときに図書室で借りた本のタイトルが思い出せない。

実をいえば内容も思い出せない。覚えているのは、

(1) 主人公(女性だったかな?)が怪しい研究所の助手となり、生きた生首の世話をする。
(2) 生首は喋ることができないので、目配せを通じてコミュニケーションを取っていた。

の2点。子供心に結構インパクトあった。
でも、最後まで読んだのかすら記憶にない。

読んでから数年たった頃「あの本は『フランケンシュタイン』だったのでは?」と思うことにしてました。

美しく作ったつもりらしい

で、記憶を確かめるべく、メアリー・シェリーが1818年に発表した小説『フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)』を読んだのですよ。

結果は、見事に思い違い。

フランケンシュタインに助手なんかいなかった。
一人きりで(しかも、学生の身で)人造人間を作ってしまうのです。天才だな。

作品中で興味深かったのは、フランケンシュタインの態度。
人造人間の制作という、2年近く費やした成果を一瞬で放棄してしまう。
理由は「完成してみたら、その姿が醜悪だった」から。
当人としては美しく作ったつもりらしい。

なんか無理がある。

これが料理であれば「美味しく作ったつもりが不味かった」ということもありうる。
でも、味覚じゃなくて見栄えの問題。いくらなんでも作ってる途中で気づくだろうに。

いや、製作中と完成後の美意識は等しいとは限らないのかも。
人格ですら、重要な目的を達成したことを境に豹変してしまうことだってありそう。

なんてことを考えながら、怪物が完成する場面を読み返していたら、笑いが込み上げてきた。
この物語、分類としては悲劇なのだけど、どことなくコミカルです。
不思議な魅力のある作品ですよ。

てなわけで今回はこれにて。

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野村 野村のプロフィール
枕は高いほうがいい。高いほうが本を読みやすいのですよ。なので広めのタオルケットを何重にも折りたたんでその上に枕を載せてその上に頭を載せてたりする。