H・G・ウェルズ「林檎」を読んで作者の術にハマってしまった

こんにちは。長いのと短いの、どっちが好きですか?野村です。

やっぱ、短いともの足りないです。だがそれがいい!
もちろん小説の話ですよ。

『盗まれた細菌/初めての飛行機』

「たまたま同じ列車に居合わせた男から『知恵の木の実』を受け取ってしまう」というお話を読みました。
H・G・ウェルズの「林檎」という短編小説です。
光文社古典新訳文庫の『盗まれた細菌/初めての飛行機』という短編集に収録されてます。

H・G・ウェルズは「SFの父」の一人。でもこの短編集はSFではなく、いわばユーモア作品集。
作者の多彩さを覗き見るにはもってこいの一冊でしたよ。

で、「林檎」なのだけど、複数の解釈ができるのでモヤモヤするのです。
なので繰り返し読んでしまった。
つい「長編として発表して欲しかった」って思ってしまう。
そう思ったってことは、作者の術にハマったってことかも知れない。

果実の効能を受け継いでいる

では本編の中から気になったセリフをひとつ紹介します。
蛇足とは思いますが、「かれら」というのは旧約聖書のアダムとイヴのことです。

「われわれはかれらの罪を受け継いでいるんだ――知識ではなく」
(H・G・ウェルズ「林檎」南條武則・訳 光文社古典文庫『盗まれた細菌/初めての飛行機』より)

なんだか虚を突かれて納得しかけましたよ。
でも考えてみれば、今の自分には「裸を恥ずかしいと思う気持ち」がある。
人類の祖が知恵の木の実を摂取した効能をしっかり受け継いでいるはず。

聖書をひもといてみる

じゃあ人類は、肝心の「知識」を受け継いでいるのだろか?
気になるので、聖書をひもといてみました。

女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。
(口語訳聖書『創世記』3:2-3 より)

主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。
(口語訳聖書『創世記』3:22 より)

知恵の木の実は「食べると知恵が芽生える実」と思いがちだけど、実際は「食べると死ぬ実」であると同時に「食べると善悪を知る実」であるらしい。
さらにいえば、結果から察するに「食べると恥じらいが芽生える実」ともいえる。
詰め込みすぎてて焦点が定まらない果実だな。
とりあえず、食べたところで、一般にいうところの「知恵」や「知識」を得られるってわけでもなさそうだ。

ちなみに最後の引用を読めば、人が楽園を追われた理由は「禁を破った罰」というよりも「善悪を知った状態で永久に生きることを阻止するため」という意味合いが強いことが分かる。
なにげに重要ポイント。たまには聖書も読み返してみるもんです。

短編作品の醍醐味

それはさておき、やはり、今の人類が「知恵の木の実」を食べても何ら変化は起きない気がする。
リンゴの持ち主や、リンゴを受け取った主人公の苦悩は杞憂のはず(もちろんリンゴの持ち主がホラ吹きじゃなければという前提だけど)。

もしこれが「知恵の木の実」と「命の木の実」のセットだったら、神も恐れる事件なのだろう。
この作品が長編だったら「命の木の実」も登場していたのかも。
きっと人類の進化に言及する作品に仕上がっていたに違いない。

などと想像を掻き立てられるのだけど、本編は余韻を残してスッパリ終わってしまう。
この「もの足りなさ」も短編作品の醍醐味なんだろな。

てなわけで今回はこれにて。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

野村 野村のプロフィール
枕は高いほうがいい。高いほうが本を読みやすいのですよ。なので広めのタオルケットを何重にも折りたたんでその上に枕を載せてその上に頭を載せてたりする。twitterやってます