ヘッセ『デミアン』のアプラクサスについて考えてみた

鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという。
(ヘッセ『デミアン』高橋健二・訳 新潮文庫 より)

こんにちは。玉子料理は得意ですか?野村です。

僕は今、買いすぎた玉子の処理に悩んでます。
極端に乏しいレパートリー。毎回の料理が「玉子を腐らせないための戦い」です。
朝からお好み焼き2枚とか、そんな感じ。

二元論を乗り越える

今回は、スイスの作家、ヘルマン・ヘッセが1919年に発表した小説『デミアン (新潮文庫)』を紹介します。

主人公が少年から青年になるにあたり、自己形成していくお話。
デミアンというのは、主人公が10歳のときに出会った年長の少年の名前です。

冒頭の引用はデミアンが主人公に送った言葉。物語中に形を変えながら何度か登場します。

この言葉、最初は「創造のためには破壊が必要」程度の意味と思ってた。
でもよく考えてみれば、「破壊→創造」という順序はなく、同時に遂行されている。
創造と破壊はイコールで結ばれているんじゃないだろうか?

さらにいえば、アプラクサスという神は鳥の姿をしているとのこと。
ならば「卵から出た鳥がアプラクサスであり、自分自身に向かって飛ぶ」という状況を示してるのかも。
ちょっと映像化は無理そう。

そこをあえて想像するならば、「世界を壊した主人公がデミアンに向かって羽ばたくのだけど、そのデミアンは主人公自身だった」という具合。

「創造⇔破壊」や「自己⇔他者」などなど、二元論を乗り越えるという構図は、後のヘッセの作品『シッダルタ』や『荒野のおおかみ』でも覗かせてました。
十代のときに読んでおけばよかったな。結構好きなのですよ、こういうの。

てなわけで今回はこれにて。

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枕は高いほうがいい。高いほうが本を読みやすいのですよ。なので広めのタオルケットを何重にも折りたたんでその上に枕を載せてその上に頭を載せてたりする。