発想の自由さを思い知る(結城浩『数学ガール ポアンカレ予想』)

「あたしはまだ、自分で表現できるほどにはわかっていません」
(結城浩『数学ガール ポアンカレ予想』SB Creative より)

こんにちは。自分で表現してますか?野村です。

「理解する」というのは「自分で表現できる」ということです。たぶん。

毎日なんらかの本を読みふけってるけど、理解できているかといえば微々たるもの。
きっと表現することが前提にないからかもしれないな。

結末に立ち会いたい

というわけで、結城浩が2018年に発表した小説『数学ガール/ポアンカレ予想 (「数学ガール」シリーズ6)』を読みました。

シリーズ6作目。6年ぶりの刊行。
それはもう不安でした。一時はもう出ないかと思ってたから。

いずれは主人公の高校卒業と(おそらく)数学ガールたちとの別れが描かれるはず。
なんとしても結末に立ち会いたい。でもそれを読むのは寂しい。

書店で手に取ったとき「今回で終わりかも」と思って緊張したもんです。
で、完結編だったかというと、それは内緒。

定めるものでも、定められるものでもない

「しかし数学は、現実――私たちの宇宙――がどんな幾何学で成り立ってるかを定めるものではない」

というセリフが印象的でした。
確かに複数の幾何学について考えるとき、自分たちの宇宙を超えた世界を思い描いている。

僕が小学生の頃「球体の表面に円を描くとき、同時に2つの円を描いている」ということに気がついたのですよ。
うまく説明できないけど「円で囲った部分だけではなく、その外側も大きな円である」という感じ。

さらに次元を増やし「球体の内側だけでなく、外側の空間も球体なのでは?」てなことも考えてた。
でも、漠然としていて自分の中でモデル化できずじまい。
本書の第5章で説明される「裏返った立方体」という着想に至っていればよかったのだけど、そこまで頭が柔らかくなかった。悔しい。

ともかく、あらためて数学が持つ発想の自由さを思い知りましたよ。

数学は、現実を定めるものでも、現実から定められるものでもない。だから憧れます。
きちんと理解したいもんです。自分で表現できるくらいに。

てなわけで今回はこれにて。

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枕は高いほうがいい。高いほうが本を読みやすいのですよ。なので広めのタオルケットを何重にも折りたたんでその上に枕を載せてその上に頭を載せてたりする。