親切にしたかったわけじゃない(聖書「善きサマリア人のたとえ」)

そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」
(ルカによる福音書 10章37 より)

こんにちは、慈悲深く生きてますか?野村です。

今、大澤真幸『<世界史>の哲学 中世篇』を読んでいるのですよ。
その中で、アゴタ・クリストフ『悪童日記』について触れられていました。
なんだか意外だったので、メモがてら記事を書いてみます。

「善きサマリア人のたとえ」について

「善きサマリア人のたとえ」というのは、イエスによるたとえ話。
新約聖書でいえば「ルカによる福音書」10章25-37にあたります。
ウィキペディアに本文が掲載されているのでぜひどうぞ。

盗賊の被害者に対し、持てる以上のものを与え尽くしたというお話。
以前これを読んだとき、以下のようなことが頭をよぎりました。

・サマリア人は「永遠の命」を得たのか?
・サマリア人は「永遠の命」を望んでいたのか?
・望んでいたのであれば「永遠の命」を得るための行動だったのか?

ようするに「利己的な行為なのか?」という疑問。
でもすぐに「問題はそこじゃない」と思い直し、考えるのをやめてしまったのですよ。

隣人愛の原理に従った結果

案外「善きサマリア人のたとえ」から「隣人愛」について考えるのは難しいのかも。
得体の知れぬ「永遠の命」とか、背景にある「ユダヤ人とサマリア人の関係」などが話を複雑にしていないだろか?

「別に親切にしたかったわけじゃないよ。ぼくらがこういうものを運んできたのはね、あなたがこういうものを絶対に必要としていたからなんだ。それだけのことさ」
(アゴタ・クリストフ『悪童日記』堀茂樹・訳 早川文庫 より)

「親切にしたかったわけじゃない」
「必要としていたから」
この『悪童日記』の主人公たちのセリフは単純で強い。

嘘をつき、窃盗も恐喝も行い、整然と人を殺める彼らの行動は「隣人愛の原理に従った結果」と大澤真幸氏は述べる。
なんというか、すごいヒントをもらった気がした。

というわけで、今回はこれにて。

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枕は高いほうがいい。高いほうが本を読みやすいのですよ。なので広めのタオルケットを何重にも折りたたんでその上に枕を載せてその上に頭を載せてたりする。