ドキンちゃんは恋を知っている(オスカー・ワイルド『サロメ』)

サロメ わたしは、ヨカナーンの首が欲しいの。
ヘロデ ならぬ、ならぬ、それは出来ぬ。
(ワイルド『サロメ』平野啓一郎・訳 光文社古典新訳文庫 より)

こんにちは。身体のパーツは好きですか?野村です。

今回読んだ本の中に、やたらと身体のパーツを賞賛する場面があるのですよ。
「なんじゃこりゃ?」と首を傾げながら読んでました。
解説によれば、旧約聖書の「雅歌」を下地にしていること。

やっぱ、聖書を最低限把握できてるほうが読書は圧倒的に面白い。のだろか?

「真っ直ぐさ」というスペクタクル

というわけで今回は、オスカー・ワイルド『サロメ (光文社古典新訳文庫)』です。

描かれているのは、ユダヤの預言者・ヨカナーン(洗礼者ヨハネ)の死の経緯。
新約聖書の中の、マタイによる福音書14:1-12と、マルコによる福音書6:14-29の記述を独自の解釈で戯曲化した作品です。

聖書との決定的な違いは、王女(サロメ)がヨカナーンを好きになること。
それがもう「激しい」の一言。すぐ間近で誰かが自害しても、サロメの目にはヨカナーンしか映らない。
度を越した真っ直ぐさは悲劇を呼ぶ、という教訓みたいな話でした。

ドキンちゃんは首を欲しがらない

サロメは、アンパンマンでいうところのドキンちゃんに当たります。
全てが望むままになることが当然、という思考回路しか持ち合わせてない。
王であるヘロデとの会話あたりはどうしても、ばいきんまんとドキンちゃんに重ねてしまう。

ただドキンちゃんは、しょくぱんまんの首を欲しがらない。ここが大きな違い。
「キスをするためには首さえあればいい」という発想なんて絶対出てこない。
そんなサロメのダイレクトさを前にすれば、奥ゆかしいもんです。

サロメは、最後に自分の思い通りにできなかったことを了解し、嘆きます。
ドキンちゃんはどうなのだろう?
バイキンとパンという相容れぬ出自を嘆いたりするのかな?

てなわけで今回はこれにて。

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野村 野村のプロフィール
枕は高いほうがいい。高いほうが本を読みやすいのですよ。なので広めのタオルケットを何重にも折りたたんでその上に枕を載せてその上に頭を載せてたりする。