何がどう頭抜けて素晴らしいのかを細かく分析して語る。それは、なぜ、自分が舞台の上にいないのか、を説明するためである。そのためでないのなら、意味はない。
(堀井憲一郎『落語論』講談社現代新書 より)
こんにちは。誰かれ構わず妬んでますか?野村です。
今回取り上げるのは、落語の評論です。
落語には全く詳しくないのだけど、十分楽しめました。
やっぱ、ライターのパワーなんだろな。凄い人です。
嫉妬してなきゃ意味ないね
というわけで、堀井憲一郎『落語論 (講談社現代新書)』を紹介します。
一言でいえば、「落語はライブ」と主張している新書です。
そしてこの本自体、ライブ感弾ける口調で進行します。
「本質論」「技術論」「観客論」の3部構成で、特に興味深かったのは「観客論」。
「感動」という個人的な体験を伝える、という人間の行動について語っています。
観客が誰かに感動を語る原動力は「嫉妬」とのこと。
これは、落語じゃなくとも、映画、音楽、文章などなど、表現されたものについて語るのであれば何にでも当てはまりそう。
僕はこの数カ月、読書で得た熱をブログに書いてみようと意気込んてたけど、どうも思うようにいかなかった。
それについては、なんとなく「文章を書き慣れてないから」「続けるうちに上達するかも」程度に考えてました。
でもそうじゃない。嫉妬力が欠如してたからだ。
どうも著者を妬み足りてない。
表現者を存分に妬む方法ってあるんだろか?
少しづつでいいから、自分も何らかの表現をしていけばいいのかな?
てなわけで今回はこれにて。