人生で大切なのは、なにが悲しいかではなく、どれくらい悲しいか、だけなのだ。
(ケストナー『飛ぶ教室』丘沢静也・訳 光文社古典新訳文庫 より)
こんにちは。悲しさをどうやって測定してますか?野村です。
腹の減らなさ具合かも知れない。
ちなみに悲しみはバネになります。でも、それもかなわず溺れたりもする。
もしかして中原中也のいう「汚れつちまつた悲しみ」とはそんな状況ではなかろうか?
「飛ぶ教室」は、劇中劇のタイトルです
今回紹介するのは、エーリヒ・ケストナーというドイツの作家が1933年に発表した小説『飛ぶ教室』。
寄宿舎に暮らす5人の男子を中心に描かれる児童文学の決定版。彼らを見守る大人たちも魅力的。
クリスマスを目前に控えた数日の物語なので、この時期に読んでおこうと思って買いました。
「飛ぶ教室」というのは、劇中劇のタイトルです。
ギムナジウムのクリスマス祭で主人公たちが行う演目なのですよ。
「クラス一同が飛行機で各国をめぐりながら授業を受ける」という、未来を想定したストーリー。
最後は飛行機事故で天国に着陸。聖ペトロと一緒に「きよしこのよる」を歌って幕となる。
天国に着陸ってことは、全員死亡したってことなのかな?このへんはどうとでも取れてしまう。
エジプトでピラミッドに封じ込められていた少女は聖ペテロの呪文によって救出され、天国に呼び寄せられたりする。
思わず「天国に呼び寄せちゃダメだろ」とツッコミたくなる。
シュールを狙ったのであれば脚本家は天才少年だな。
「わからなさ」をかかえて暮らす
児童文学であれど、今回読んだ光文社古典新訳文庫でのターゲットは大人、という感触でした。
訳者あとがきによれば、児童書のセオリー(ルビ、ですます調、改行など)に従えば、シンプルで軽快な原書の魅力が十分に伝わらないとのこと。
そのへんは、自分がドイツ語で読めることができれば確かめられるのだけど、それは無理。
一応、気になるので児童書の翻訳と読み比べるつもりではいる。
また、わかりやすさへの過剰な配慮は子供を枠の中に囲い込む、と訳者は述べています。
「わからないことがあれば、『わからなさ』をかかえて暮らしていけばいい」とのこと。
なるほど。「わからないこと」も蓄積され、自分の中でネットワークが組まれていく。
そういったものも大切にしてみてもいい。
知識や理解を求めてばかりでは窮屈なのかも知れないな。
てなわけで今回はこれにて。