一休さんが七福神を生んだ?(一色史彦『七福神の創作者』)

なかきよの とおのねふりの みなめざめ
  なみのりふねの おとのよきかな

こんにちは。七福神を暗唱できますか?野村です。

僕はできません。「福禄寿」が出てこない。

あと、「寿老人」の読み方に自信がない。正解は「ジュロウジン」。
どうして自信がないかというと、幼少の頃「スシロウジン」と憶えていたから。
「寿司が好きな老人なのだろう」と勝手に思い込んでたのです。

冒頭の詩は宝船の回文。
初夢を見る前に唱えて、寿司を食べる夢を見ようと考えてます。

七福神の発祥についての記録はない

七福神っていうのは、日本と中国とインドの神様を並べたもの。
いつ誰がどんな目的で並べたのかは記録にないそうです。

そこに光を当てたのが、一色史彦『一休さんの「モノにココロあり」大発見! 七福神の創作者』(三五館)。

この本の中で著者は「一休さんが七福神を発明した」と推理しているのですよ。

その確信のもとになったのは一休さんの残したこの詩。

仏法を 神やほとけに わかちなば
  まことのみちに いかがいるべき

確かに「神と仏を分けちゃいけない」と言ってます。

七福神のデビューは「七福強盗」

著者の調査した中で一番古い七福神の記録は「七福強盗」。
七つの福の神の仮面を被った強盗集団です。
当時の富商は、縁起のよさのあまり喜んで強盗を迎え入れた、と文献にあるそうな。

著者は、この強盗をプロデュースしていたのが一休さんだったと考えています。
徳政一揆に共鳴して詠んだ「徳政」という詩を見てそう思ったとのこと。

賊は元来、家の貧なるを打たず
孤独の財は、万国の珎(たから)に非ず
道(い)うことを信ず 禍(わざわい)は元の福の復する所なるを
青銅十万、霊神を失す

応仁・文明の大乱で庶民の困窮は頂点だったといいます。
そして、強盗が出没していた時期の一休さんは25歳。
ホントに義賊を影で操ったりしたのだろか?

史上二度目の登場は「福神行列」

堺の商人たちが京都の復興をバックアップしようという運動がありまして、それに伴い「福神行列」というイベントが行われてたそうです。

それは、堺の町の女房16~7人が福の神の姿をして京都に入り、京都の男50~60人が貧乏神の姿で堺に向かうというもの。

これが歴史上2度目の七福神の登場とのこと。
そして、このアイデアを出したのが堺と縁の深い一休さんだった、と著者は考えています。

論拠なんか薄くてもいい

なんとなく一休さんが七福神の創作者だという論拠は薄い気がします。でもいいんです。
この着想を得るまでの労力は相当なもの。
「七福神のデビューを探ろう」という執念が伺えました。

それから、本書のテーマは別のところにあったりもします。
それは、
・「モノよりココロを大切に」
・「知るは楽しみなり」
この2つの言葉を社会から追放したいというものです。

「モノよりココロを大切に」は納得。
やはり、ココロはモノにも宿ります。

てなわけで今回はこれにて。

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枕は高いほうがいい。高いほうが本を読みやすいのですよ。なので広めのタオルケットを何重にも折りたたんでその上に枕を載せてその上に頭を載せてたりする。twitterやってますFacebookもやってます