文字だけ画面の日々

こんにちは。パソコンであんなコトやこんなコトしてますか?野村です。

僕のパソコンも10年前はあんなコトやこんなコトができたのだけど、時が経つに連れできることが減り、今やブラウザすらマトモに動かない。なのでテキストブラウザを常用してます。

「文字だけ画面」とは?

テキストブラウザというのは、文字しか表示できないWEBブラウザ。僕が使ってるものは画像も表示できるけど、そんな機能はOFF!中途半端はよくない。

そう、中途半端はよくない。いっそパソコン自体、文字しか表示できなくするもいい。
WindowsやMacでの方法は知らないけど、Linuxであれば「文字だけ画面」にするのは簡単なのですよ。
実際に僕は3ヶ月ほどの間、自宅のパソコンを「文字だけ画面」のみで使ってました。

「文字だけ画面」とは、つい先ほど思い付いた造語で、「仮想コンソールからfbterm(日本語の表示を可能にするアプリ)を起動した状態」を指してるのだけど、専門的で何のことか分かりませんよね。

どんな画面かといえば、MS-DOSをご存知の方なら、そんな感じの黒画面を想像して下さい。
ご存知でなければ……、Windowsのコマンドプロンプトを想像して下さいな。プロンプトを全画面にして、その中だけで文章を作成したり、WEBサイトを見たりするのに近いかも。

以下、難解な言葉を極力避けますので、しばしお付き合い下さいな。

低スペックの説得力

クイズです。僕が「文字だけ画面生活」を送ることにした理由はどれでしょう?

1. パソコンの動作の重さに辟易した
2. パソコンを使うという行為の見直し
3. Linuxの再勉強
4. 単なる酔狂

答えは4つとも全て。

当時僕は、パソコンの買い替えを真剣に検討していました。でも買い替えってそれなりにパワーが必要。なんだか面倒になって「むしろ低スペックならではの活用法を模索してみよう」と考えを転換してみたのです。
で、ひらめいたのが「捨てる」こと。捨てるのはハードウェアではなく「環境」や「可能性」。

何十年前のことかは知らないけど、パソコンというのは、グラフィック環境が備わってから可能性が飛躍的に増長したんじゃないだろうか?
じゃあ、その「環境」や「可能性」を取り払ってみてはどうか?動作は軽くなるけど、不便になりそうだ。
わざと大幅な機能制限をして、それでもできることに対しては今まで以上に精進し、できなくなったことに対してはキッパリ見切りを付けてみよう。

と、方針が固まるやいなや「グラフィック環境を起動した時点で負け」というルールを自分に課しました。
負けたのは3ヶ月後。そのときのことは別の機会に書こうかと思ってます。

できることできないこと

「文字だけ画面生活」の中で実際にやっていたのはこれだけです。

・WEBサイトの閲覧(画像なし、動画不可、JavaScript無効)
・プログラミングの勉強
・文章作成やメールの読み書き

WEB上の記事を読むとき、画像がないと読み進めない場合は想像力でカバー。それが無理なら読むのをやめる。特に困ることはなかったな。

できないことは多いです。でも僕の場合、大したことじゃなかった。

・ネットショッピングは無理なはず。でも利用しないから問題なし。
・ワードやエクセルの類は当然使えない。しかしオフィス系ソフトを自宅で使うのは稀。
・ゲーム類はもってのほか。っていうか、もともとゲームをしない。

できるけどやらなかったこともある。

・音声ファイルの再生は可能。とはいえ僕はパソコンで音声を再生できるよう設定してない。
・マウスは設定すれば使えるらしい。だけど「文字だけ画面生活」を徹底すべくマウスを引っこ抜いてました。文字列をコピペするときは慣れるまで手間取ったなあ。

読書案内

「文字だけ画面生活」を豊かにしてくれた書籍を2冊ご紹介します。

仕事ですぐ役立つ Vim&Emacsエキスパート活用術 (SoftwareDesign別冊)

VimやEmacsは「文字だけ画面」でも使えるテキストエディタ。どちらも操作法が独特で、習得が厄介だけど使うほどに便利になる。いわばユーザーとともに成長するツール。ちなみに僕はVimを使ってます。
「文字だけ画面生活」では、テキストエディタの使用頻度が高くなるので、これまでVimの習得をおろそかにしていた自分を呪いながらこの本を手に取りました。
初学者はガイドとして、上達を望む人はヒント集として、上級者は自らのエディタ愛を確認するために一読してみてはいかがでしょうか?

ぼくたちに、もうモノは必要ない。 – 断捨離からミニマリストへ –

エッセイです。持ち物を最小限に留める生き方について熱く語るだけでなく、ヒトがモノを求めるメカニズムについても冷静に分析してます。
パソコンについての本じゃないけど、最低限の環境でパソコンを使うことと無関係じゃなさそうなので「文字だけ画面生活」を送る中、再読してました。
大切なものを見つける手段としての「モノを減らす行為」。あやかりたいですな。

まとめ

パソコンは道具。目的に支障をきたすほど古くなれば買い換えるのは当然です。
僕が10年以上同じパソコンを使い続けられたのは、明確な目的がなかったからかも。と考えると合点がいく。

試しに極端な機能制限を設けてみたところ、できること、かつ、やりたいことはプログラムの勉強くらいだった。
で、しばらくの間それに没頭してたわけです。そうしているうちに次にやるべきことが見えてきた気がする。

今度こそ買い替えようと目論んでます。
次もまた10年以上使うことになるのだろか?まあ、そのときはそのとき。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

野村 野村のプロフィール
枕は高いほうがいい。高いほうが本を読みやすいのですよ。なので広めのタオルケットを何重にも折りたたんでその上に枕を載せてその上に頭を載せてたりする。