物事を完成させるのは「引き算」です

どうやら、ある機械が完成したと言えるのは、もはや何も付け足す必要がなくなったときではなく、何も削る必要がなくなったときらしい。
(サン=テグジュペリ『人間の大地』光文社 渋谷豊訳 より)

こんにちは。物事を完成させてますか?野村です。

僕は完成させるのが苦手です。
ブログ記事ひとつとっても、完成の見極めに一苦労。
そういうときは、冒頭で引用した言葉を思い出すことにしているのですよ。

「足し算」ではなく「引き算」を完成の目安にすると、仕上がりがスッキリするはず。
この方針は、あらゆることに当てはまる!……いや、そうでもないのかな?

料理は「足し算」

たとえば、料理。これには当てはまらない。
料理は「足し算」の連続です。完成は「足し算」の果てにある。

いや、アク抜きは「引き算」だな。あと、野菜の皮むきも。
あまりしないからすぐ思いつかないけど、料理にも案外「引き算」が潜んでいそう。
とはいえ、「引き算」を完成の目安にすることはない。はず。

ていうか、「これ以上削る必要がない料理」ってあるのだろうか?
ちょっと食べてみたい。

散髪は「引き算」

料理が足し算の連続なら、散髪は引き算の連続。
僕は自分で散髪するのですよ。電動バリカンを使います。
「やらかすと取り返しがつかない感」がハンパないので、慎重な作業です。

いつも思うのだけど、散髪の完成の目安は難しい。文字通り手探り。
冒頭の言葉に従うとなると、坊主になってしまう。
坊主になるのは構わないけど、なにせ一人きりの作業。短く刈りすぎるとアラが目立つ。
虎刈りですな。

読書も「引き算」

じゃあ読書はどっちだろ?

ページの消費という点では「引き算」といえるし、心に蓄積されるから「足し算」でもある。
でも実際、蓄積されたものは遅かれ早かれ「引き算」されてしまう。忘却です。
だとしても、忘れることも含めて「読書」ではなかろうか?最近はそう考えることにしてるのですよ。

「読書の完成」とは何だろう?1冊読み終えることが完成とは思えない。
読書に完成があるとするなら、それは「もう何も読む必要はない」という境地なのだろう。
読書は煩悩の一種。読めば読むだけ膨らんで「完成」から遠のいていく。
であれば、「読書の完成」は「引き算」によってもたらされるはず。

しかし、読みたい気持ちを「引き算」することなんてできそうもないな。

最後に

冒頭で引用したサン=テグジュペリ『人間の大地』は、自身の体験をもとにしたエッセイとも小説ともとれる作品です。
砂漠をさまようシーンが圧巻。未読のかたは是非どうぞ。

それから、僕が愛用しているバリカンは「フィリップス 電動バリカン ヘアーカッター QC5115」という製品です。
6年くらい使っているけど、どこもヘタってこない。今や相棒と呼んでもいい。

てなわけで今回はこれにて。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

野村 野村のプロフィール
枕は高いほうがいい。高いほうが本を読みやすいのですよ。なので広めのタオルケットを何重にも折りたたんでその上に枕を載せてその上に頭を載せてたりする。