『第七官界彷徨』で描かれるジレンマと憧れ

こんにちは。感覚を研ぎすましてますか?野村です。

僕は味覚と嗅覚が著しく鈍いのですよ。
その分、他の感覚が鋭いかといえば、全くそんなことなかったりする。

『第七官界彷徨』について

今回取り上げるのは『第七官界彷徨』。尾崎翠という作家が1931年に発表した小説です。

単身で上京した主人公・町子が、兄二人、従兄弟一人の計四人で暮らし始める。……と、こんな紹介じゃ、いくら書いても終わらない。
なので、タイトルにある「第七官」に絞って書いてみようと思います。

破壊力あるボンヤリ感

「第七官」とは、どうやら人間に備わっている感覚の一種らしい。
言葉から察するに、五感や第六感を越えた感覚なのだろう。

そんな感覚があるという前提で、主人公はなんとなく詩人を目指している。
あるかわからない「第七官」に響く詩を書こうとしているわけです。
そして肝心の「どのような感覚なのか?」については、主人公の想像力の外。

この破壊力あるボンヤリ感!

存在しないプログラム言語でプログラマーを目指すようなものかな?
空想上の楽器で音楽家を目指すことにも似てる。

「考えや知識の範囲」を超越した空間

あと、気になったのがタイトルの中にある「界」という文字。
なぜ「界」なのか分からない。
なので試しに五感を表す文字に「界」をくっつけてみた。

「視界」「聴界」「嗅界」「味界」「触界」

この中で馴染みある言葉は「視界」。「見渡せる範囲」のこと。
また、「考えや知識の範囲」という意味に用いる場合もある。
なるほど。「第七官界」とは視界の及ばぬ空間ということになる。

難儀なジレンマ

本編の中にこんなエピソードがあります。

コケの花粉と栗の粉の混ざり合う様から「詩の境地」を感じ取り、ペンを取ってみたものの、書きかけたのは「ごく哀感に富んだ恋の詩」。主人公は思わずその作品を破ってしまう。

自身の恋愛は日常の範疇であり、視界の中の出来事。「第七官」には響かない。
というか、自分の「考えや知識の範囲」を超越した作品など書けるはずがない。当然です。
そんなジレンマの中でも、主人公は「第七官」という存在を疑わない。難儀だな。

主人公のノートが絶えず空白がちなわけです。

「理解を超えたもの」への憧れ

誰もがこれに似た難儀に取り付かれた経験があるはず。
一言でいえば「理解を超えたものへの憧れ」ですな。
「第七官」という言葉には、そんな思いを込める入れ物としてこれ以上ない響きがある。

ときおり僕は「結局のところ、第七官って何?」と思い巡らせたりするのですよ。
そのたび十代の頃に考えていたことを思い出す。
そして、恥ずかしさのあまり頭をかきムシったりムシらなかったり。

んなわけで、今回はこれにて。

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野村 野村のプロフィール
枕は高いほうがいい。高いほうが本を読みやすいのですよ。なので広めのタオルケットを何重にも折りたたんでその上に枕を載せてその上に頭を載せてたりする。