文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ。
(芥川龍之介『侏儒の言葉』文春文庫 より)
こんにちは、紙の辞書を引いてますか?野村です。
僕は引いてません。捨てました。
ネット上の辞書で十分な気がしたのですよ。
でも漢字辞典は残しておくべきだったかも。
読めない字を調べるとき、手書き入力するのがちょっと面倒。
実用に徹した刃物
というわけで、芥川龍之介による箴言集『侏儒の言葉 (文春文庫)』を読みました。
goo辞書で「箴言」を引くとこうなってました。
戒めの言葉。教訓の意味をもつ短い言葉。格言。
辞書の中の言葉は潔い。サクリと脳に入る。
言葉の職人の手で研ぎ澄まされているんだろな。
実用に徹した刃物は美しい。言葉も同様ですよ。
言い換えてみる
辞書の中にある時と比べると、僕の文章の中の言葉はどうも美しさが足りない。
やっぱ、辞書が基準じゃ敷居が高いのかも。
なので芥川の言葉を少々書き換えて読み直してみた。
文章の中にある言葉は頭の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ。
「辞書の中の言葉」は他者の言葉。しかも国語のプロが紡いでいる。
太刀打ちできるわけがない。
対して「頭の中の言葉」は自分の言葉。
「自分自身との対話の中で文章を編み上げる」という方針ならなんとかなる。
独りよがりになりそうだけど、それを恐れては前進はない。
欲するままに美しさを加えていこう。
だけど、この「欲する」っていうのもクセモノだ。
芥川はこんなことも言ってる。
成すことは必しも困難ではない。が、欲することは常に困難である。少くとも成すに足ることを欲するのは。
(芥川龍之介『侏儒の言葉』文春文庫 より)
てなわけで、今回はこれにて。